じゃこ爺の置き土産
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昔話です。身辺雑記と分けました。
孫たちが大きくなって、読んでくれることを期待してます。
一般の方は興味ないとおもいますが、 退屈しのぎにでも、なれば幸いです。


操業風景

                    
朝、各船団一斉に出航  
漁場に向かいます。













魚群探知後入網、
約1時間ぐらいで
運搬船が
魚取りの袋を上げに行く。
前方に見えるのが、
片方の網船。









魚を魚倉に移し
魚取りの袋を閉めて
運搬船は港に帰る。
網船はまた網を引っ張る。
一日これの繰り返し。
多いときで8回ぐらい。









一日の操業が終わり
網船は網揚げ作業
途中まで
ネツトローラーで巻き上げる











途中、網から袋になり
袋をスローで引っ張り洗う
手作業でこれを取り込む。
港に帰港する。
大雑把に言えば
こんなところです。









05/06/19(














父 の 日
ばかすくが!
さっさっせんか!
つまらんやっちゃぁ!
ざまたれみよ!

- - - - - - - - - - - - - - - -
無理偏に拳骨の親父でした
一月一日の朝食だけは土間の飯台ではなく
座敷で親父ともども家族だけでの食事で。
緊張してご馳走の味が分かりませんでした。

本年三十三回忌 了
                         合掌                 




05/05/16(月)

大漁旗を思い出したので。
最近のを一枚ご披露。
昭和30年代は無線が無く、旗がたより。
物見(年寄か子供)が加工場に連絡。
まず、旗を立ててるのは、何丸か?
次が、何が、どれ位獲れたのか?
身振りと、船足を見て、見当をつけます。
のんびりした、時代でした。
今は、網を上げる前から、
何がどれ位か
加工場にいて大体分かります。
便利ではあるが、感動がない。
( ナマ贅沢言うな!横着もんが!)            

05/05/08(















       母 の 日

こんバカタレが!
おまえんよなっを、
アンポンタンの、 ひょう六玉ちゅうとよ
ひょう六玉ちいえば、
宝ん玉かと、おもちよっとじゃろ
ばかすけが!
- - - - - - - - - - - - - - - -
小学四年の通信簿

「学習欲なく注意散漫なり。
仕事取り掛かり遅し」

を見て。
ばかでん、金持ちゃ一等賞じゃ
一所懸命働いて金持ちんなれ!
と励ましてくれました。

三十三の時、死にました。
六十九でした。
                     合掌                 



05/02/24(木)

昭和52年、
鉄工所に頼むのに 等角投影図方 を 、
通信教育で習いました。
斜眼紙に楕円定規を使って書きます。
面白くなって、熱中のあまりか、
物が飲み込めなくなり、
食道癌で死んだ親父のこともあり、
街に出て自棄酒をたらふく飲んだら、
翌日は物が食えました。
肩の凝りが原因だったようです。

まさに 「酒は百薬の長」 ですな。

これを機に図面引きはやめました。






05/02/20(日)

昭和56年、FRP製の新船建造。
錆び落としから開放され、実に嬉しい。
通常のドックは2日で終了、大変楽!
木船、鉄船は、耐用年数も分かるが
新素材のFRPは、不明。
この船と自分と、長生き競争。
もう一度進水式を見れるかな〜
以上で網船の
世代交代の御披露目終了。
見て頂いた方には船達ともども、
お礼申し上げます。






05/02/18(金)



昭和42年、新本船第16,17明漁丸建造。       昭和56年 第16,17明漁丸解体処分。
鉄船時代となる。進水式を終えて。           左の進水時の写真と並べると、感慨一入。

鉄船になり、防水、虫殺し、の作業は無くなったが
錆落しと言う、これまた難儀な仕事が発生。
夏のドックでは暑くてやれず、もっぱら秋、冬のドックで、錆落とし。
耳栓をして、チャンチャンハンマーで、終日叩きます。
俗に言う「カンカン虫」です。
外板はまだいいが、デッキと運搬船の魚倉の錆び落としには、 往生しました。
この頃からですかね、人間もドックをしだしたのは?
やっぱり、錆を落とすんでしょうね。


05/02/17(木)


昭和32年、新本船第11,12明漁丸(網船)建造。  昭和42年老朽化した第11,12明漁丸
旧本船は焼却処分。写真は網の積み替え作業。  運搬船に曳航され砂丘で焼却処分。

ルース台風に沈められたりご苦労様でした感謝10年間ご苦労様でした。

これで 約30年浸水事故に泣かされた、木船時代は終わりです。
この頃の船のブリッジに屋根が無く、雨になるとカッパで操船。
ドック時の船底の 虫焼き も大変だったようです。
当時市内にドックがなく、50km位南の油津港のドックに行きました。
8〜10人で木賃宿で自炊、炊事係、会計係などを決め 1〜2週間位かかりました。
赤線、青線時代ですので、ドック行きは楽しみだったようです。
私は勿論何のことか分かりません。


05/02/03(木)

 お口直しに我が家の
 「お宝ご披露」。
 小銭を数える道具と
 昭和23.4年ごろ、
 大阪の荷受「大水」よりの算盤。
 これを裏返し、片足を乗せ滑り、
 親父に見つかり、どやされた。
 お次が、竿秤。
 昭和30年代は漁法が今と違い、
 チリメンに雑魚が多く混じった。
 アジ、カマス、チダイ、タチ、
 イボダイ、コウイカ、シリヤケ
 クルマエビ、アシアカ、シバエビ、
 ETC、ETC、ETC、


 各網元に、行商のおばちゃんがいて
 自分のを確保、午後2〜3時ごろ、
 魚種ごとに計量、商売に出発します。
 その時のちきりです、
 親父の目を誤魔化して、へそくり
 毎晩のように、飲み歩きました。
 罰が当たって、胃袋を無くしました。
 以上が 我が家の 三種の神器



天網恢恢、テンモウカイカイ にして モラらさず。
             
贔 屓ヒイキ   さすが商人の家、 銭に関係の品ばかりじゃね。
陰の声  三種の神器てか がらくた じゃが!
皮肉屋  銭勘定ばっかり、ちゅうこっちゃわな。



05/03/22(火)

















戦後60年とて、
昭和2,30年代の話題をよく耳にします。
尻馬にのって
昭和29年の初漁(1/2)風景
「はっだし」と言います。
現在のはっだし は1/5日です。
まだ着る物を大事に繕って着ていますね。
漁法が今と違い、小魚が混じっています。

                 縦書きの練習。



   昭和26年10月
 
  ルース台風で
  片方の網船が沈没、
  ロクロ3台での
  引き揚げ作業風景              

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