田本水産写真集
平成20年03月
google の航空写真で遊んでみました。
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平成20年03月
google の航空写真をコピー。
田本水産付近の写真であります。
下方は宮崎空港の滑走路です。
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平成16年09月
干場に芝を張りました。
下が砕石なのであきらめていたましが、
上手く付いてくれました、
長年の間に土も付いたんだろうな。
出水もいいこともあるんだ。
夏の暑さはかなり緩和された。
よーしんぼうしたもんじゃぁ!
長いことほっておいたので、
時々順番が変わりますご了承ください。
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平成15年07月
ネットの中のチリメンをとりだし、
空になった、ネットを引っ張り、
台車の上に積み重ねる装置です。
全部自社製です。
動きが似ているので ブランコ と命名。
この写真は平成20年7月11日撮影。
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平成14年10月
シーケンサー制御の装置を自社開発。
セイロのにチリメンが乗らないよう、
枠のつなぎ目をネットが連動。
次のセイロになったら元に戻り、
ネットが反転して、
上のチリメンを落とします。
セイロとシンクロして動くところから、
真九郎略して シンクロ です。
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平成12年10月
戦前からの竹の丸籠廃止。(作り手死亡もあり)
FRPの桶で運搬。
省力化が一段と進んだ。
この写真は平成20年3月に撮影したものです。
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平成12年10月
セイロの段積機開発。
干し付け機と連動するように設置。
干し付け機は平成6年に設置。
コンベアが首を振り、
セイロに干し付けます。
ずいぶんと楽になったが、
人手不足と省力化とのいたちごっこ。
連絡のために機械に名前をつけます。
干し付け機は腕のコンベアが行ったり来たりするのでgoo-returnで ゴリタン。
段積機は調子がとれづ悪戦苦闘。
ただ9枚ずつ積んでくれるだけでいい、
の意から、
吉屋段九郎忠積
(よっしゃ、段九郎ただ積め)
略して ダンクロ であります。
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平成11年3月
安西製作所の色選別機購入。
CCDカメラで雑魚とか異物を見つけ、
エアーノズル30本で吹き飛ばし選別します。
写真では見にくいですが青く光ってるところです。
完全じゃないがずいぶんと楽になりました。
イロセンと名づけています。
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平成9年年10月
航空写真
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平成9年8月
運搬船 第二十五明漁丸建造
於 延岡の浮島造船
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平成9年3月
セイロを積んだ合体車をチェーンで連結して。
フォークで牽引。
二人で1台づつ運んでいたのが、
すごく楽になりました。
次女がパレードと名づけました。
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昭和63年8月
釜工場新築 鉄骨平屋15m×30m。
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<昭和62年11月 航空写真
同じ日に撮影した写真です。
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昭和62年11月 航空写真
写真では良くわかりませんが
字のすぐ下の方にあります。
上方の海は日向灘です。
左側は大淀川
右側は支流の八重川です。
右手上方の入り江は通称タンポリ。
戦前に出来た人造湖
赤江飛行場(現 宮崎空港)の盛り土用。
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昭和62年5月
走行中流木をペラにまき、
舵を壊して船底より浸水。
僚船と運搬船で支え何とか寄港、
あわや沈没の危機一髪。
入網後でなくて幸運でした。
網を入れていたら駄目だっただろうな。
思い出すと心臓に悪い。
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昭和57年12月
連日の大漁、手の皮が擦り切れ、
足で湯加減を見て 風呂に入った。
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昭和57年9月
門型クレーン車に搭載。
人手による水揚げ作業からの開放!
大潮の干潮時 人力での水揚げ作業
今思うとぞっとする!
3人で船から押し上げ、
桟橋から一人が1mぐらいの手鍵で引っ掛け、ぐっと引く、
両側の2人が手を伸ばして籠のふちをつかみ引き上げます。
6人の息が合わないと駄目です。
下の者は水を頭からかぶり大変で、
特に風下の者は哀れでした。
みんな良く頑張ったもんだ。
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昭和56年6月
FRP本船(網船)宮崎港に無事帰港。
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昭和56年6月
FRP本船(網船)門川港にて試運転。
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昭和56年6月
FRP本船(網船)進水
於 門川 金丸造船
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昭和56年2月
FRPの本船(網船)建造着工
於 門川の 金丸造船
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昭和55年5月
木造製品工場解体鉄骨製品工場建築。
同年10月の台風19号の後の写真。
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昭和55年5月
木造製品工場解体前の全景写真。
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昭和52年12月
ターレット購入。
昭和45年の1台めに続き2台目
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昭和52年12月
冬のちりめん漁なく連日タチ魚ばかりで泣きました。
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昭和51年9月
着荷船船底に亀裂が入り浸水。
クレーンで岸壁に上げ修理。
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昭和50年6月
釜の加熱 バーナーからボイラーに
二重釜 いわゆるジャヶット釜を設備。
処理スピードが速くなり加工能力UP。
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昭和46年10月
ネットローラーの視察
徳島県和田島に乗組員全員で行く。
当時の明漁丸の島田船長の親戚の正宝丸に同乗見学。
翌47年2月明漁丸に据付。
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昭和43年9月
フイルムをカラーに変えて写す
今見ると懐かしい
小判型の桶や竹製のかご類がみえる。
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昭和43年9月
水に浸かったむしろを堤防に干す。
建設省の巡回に撤去を命じられ口論。
何とか認めてもらう。
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昭和43年9月
台風16号により大被害。
専用桟橋流失。工場もめちゃくちゃ。
災害援助法適用さる。
漁協からあとかたずけの手助けを頂く。
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昭和43年
建造の第11、12明漁丸廃船処分。
11年間ご苦労様でした。
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昭和43年9月
進水 赤江港に帰港。
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昭和43年
同所で網船建造。
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<昭和42年12月
無事進水
ロープでおらえて、
坂とコロを利用して動かす、
ロープ摩擦のためは熱を持ち
熱くて素手ではもてません。
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昭和42年
一ツ瀬川の河口で運搬船建造。
初めての鋼船、
船首部分のカーブも
ハンマーで叩いて作る。
これぞ手作り!
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昭和34年
煮あがったら滑車で引き上げる、
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昭和34年
セイロに魚を均一に並べ(腰が痛くてたまらん)
10枚の組んで煮る。
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昭和34年
47年前はおなごしは
着物にもんぺ姿だったんだなぁ〜
前掛けもなっかしいなぁ〜
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昭和34年
文化服装学院なる洋裁学校の旧校舎解体移築。
いりこ専用釜場を作る。
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昭和32年ごろ
むしろのうえにじかに干すので、
乾きあがってからの
ごみ飛ばしがひと仕事。
風がないとまったくのお手上げ!
ようやく終わると、
女は1枚、男は2枚ずつ運ぶ、
のんびりしたもんだ!
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昭和32年ごろ
「ちりめん」はみかん箱の一空(いちあき)に。
「いりこ」は紙袋に一貫(3.75K)入れ、
菰で荷造り。
夏は菰で腕がヒリツク。
背中を蚊に刺されても手が離せない。
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昭和32年ごろ
燃料が石炭から重油に代わる。
右下で輝いているのが
「矢ヶ部式バーナー」なる当時の新兵器。
着火に気をつけぬと
バックファイアーで前髪、眉毛を焦がす!
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網の積み替え作業。
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宮崎の赤江の港に無事帰港。
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昭和32年
第十一,十二明漁丸建造。
美々津の近藤造船所
まだブリッジに屋根がない。
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昭和27年
操業中の網船のブリッジです。
無線が無い、魚探が無い 、
テレファインダーが無い、GPSが無い、
窓も無ければ、屋根も無い。
夏は炎天に、冬 は寒風に吹きさらし、
雨が来れば合羽、
昔の人は偉かったね!
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昭和27年
工場新築
木造平屋 4間×14間 (28年正月撮影)
燃料は石炭 一人付きっ切りで火加減を見ます。
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同じルース台風で釜場倒壊。
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対岸から滑車で引き揚げ作業。
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昭和26年10月
ルース台風で片方の網船、
真網沈没。片方の逆網は無事。
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戦後再開したころの操業風景
機関は焼玉エンジン、いわゆるポンポン船です。
エンジンが繋るのに30分以上かかつた。
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昭和14,5年
ごろのドック風景
大潮の干潮を利用してドック
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